江戸時代、武士の給料は米で支払われていました。
そのため、食料や武士の給料として大量の米を保管する蔵が必要となり、その蔵が設置された場所こそが浅草でした。
その米を守るための下級役人が多く暮らしていたほか、武士が給料として受け取った米を現金と替える「札差」という商人が登場するなどして徐々に浅草が栄えていきました。